丸まった針の先に視線を向ける

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丸まった針の先に視線を向ける

藝大在学中に生み落とした文章や想い達 かわいいかわいい我が子

エッセイ 古書に思う

以前書いたエッセイを掲載します

私たちは数多くの出会いをします。

人だけでなく数多くの物とも出会い、中には意味もないものや未知の物との出会いもあります。

 

今回は古びた本との出会いです。

古書に思う

 6月末、日差しもきつくなってきて、汗で体がべたつく。エアコンの効いたお店に入ろうと思っていたが、じめっとした古本屋に惹かれ、立ち寄った。少し栄えた商店街の並びにある古本屋。店先には値段が下げられた本が出され、色あせた洋書が目に付いた。厚みのある本で、ずっしりとした重みがある。深い緑色の表紙にインクは使われてなく、エンボスでタイトルが示されている。

「CLASSIC MYTHS IN ENGLISH LITERATURE AND IN ART 」

 思わず立ち読みする。開いてみると古臭い匂いがした。記憶の奥にあった、祖母の着物のタンスのようなにおいだ。タンスは畳敷きの広い部屋の片隅にあって、子供心に触れてはいけないもののような気がしていたが、ある日、少しだけと、取っ手を引いてみた。ギシギシと音がなり少しだけ開き、中から深い紺色の縮緬のような布が少しだけ顔を出す。と思ったらこれまで嗅いだことのないような匂いが鼻につく。匂いにより、改めてタンスに触ることへの罪悪感を持った。今思えば毎年3月、雛人形を出した時も同じようなにおいがした。 

 匂いに気を取られていたが、よく見ると本にはかなり多くの書き込みがされていた。筆記体で書かれていてうまく読み解くことができない。何について書かれた本であるかも分からないまま、気がつけば、レシートとお釣りを受け取っていた。

 ソファーに座り改めて本を開く。石膏像のようなものが書かれた挿絵や紀元前5年のアメリカの地図が目を引く。見出しが気になったページだけ、単語を調べながらなんとなく読み解いていった。さらにページをめくると、一枚のハガキに出会う。洋書の中で突然出会った日本語に少し驚くが、言葉遣いが見慣れないことに、すぐに気がついた。「號より採用す、至急送附あれ。」宛名は英語通信社で、“郵便はがき”の文字は右から読む。おそらく活版での印刷になっている。ハガキの、本の歴史を感じ、以前の持ち主について想像も膨らむ。ハガキの宛名に連絡をしてみようかとも思ったが、よく分からない、という情緒を壊すべきではないと感じた。

 以前も似たようなことがあった。何の本だったかは覚えていないが、神奈川県内のスーパーのレシートが挟まっていた。私が本を手にする15年ほど前の日付で、夜の8時頃にみたらし団子とビール、チョコレートを買っていた。元の持ち主は仕事終わりに、自分へのご褒美を買ったのだろう。そう私は決めつけた。誰かが本にレシートを挟んだ当時、私はまだ小学生にもなっていなかったが、今、私はその本を手に取り、彼か彼女かも分からない甘党の誰かへ親近感を抱くことになった。

 古びた洋書は高学歴のホームレスのようで、見かけに反して中はやたらと難しい。私は、多分この本を読み終えない。ただ、開くたびに少しだけわかる単語と挿絵を元に、自由に読むことができる。かつてプライドが高かったであろう本は、心外かもしれない。窓を閉め切った私の部屋の空気は淀んでいるが、薄汚れた洋書にはお似合いでもある。本を開くとテレビの音はたちまち邪魔者になり、時間の流れが遅くなる。この本が過去の時間を連れてきたようだ。テレビを消した室内には時計の針の音がして、たまにはこういう時間も悪くない。目の粗い表紙は独特で、持った途端に私を世界に引き込むが、たまに出喰わす凹んだ傷によって私は現実に戻る。本に振り回される日が来るとは思ってもみなかった。

私は再び古本屋に行き、適当な本を端から読み漁り、後から挟まれた何かを探したが、しおりの一つとも出会えなかった。

 

お読みいただきありがとうございました。

あれから半年以上経ちましたが、なかなか意図しない出会いは訪れません。

みなさんが、何か素敵なもの、人と出会えることを願っています。

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