丸まった針の先に視線を向ける

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丸まった針の先に視線を向ける

藝大在学中に生み落とした文章や想い達 かわいいかわいい我が子

絵の描けない芸大生 東京藝術大学ごめんなさいね

私は藝大生ですが、絵が描けません。

 

小学校で毎年やっていた夏休みの絵の宿題は6年間全部佳作でした。

 

花火を書いてもお祭りの風景を書いても、海の絵を書いても佳作でした。

大賞ではありませんが、選外でもありません。本当にそこそこでした。

 

私の在籍する先端芸術表現科の入試にデッサンが必要なかったので

いま芸大生という肩書きを頂いています。

 

もちろんそれなりに作品を作り受験の対策はしましたが、わりと好きに作品を作っていました。(私が受けた年の試験は小論文 + 作品ファイル + 総合実技)

 

出来ることをやってたどり着いたのがここでした。

 

「芸大なら絵が上手いのね、似顔絵描いて」は最強の苦行です…。

 

たぶん単純に才能とかじゃなく合う合わないが存在していると思います。

私は、良きタイミングで良き巡り合い的な何かにずいぶんお世話になっています。

 

芸大を目指す人が私の絵を見て少し元気になったらいいなと思います。

 

全力で書いた宮田前学長と、サイ。

 

 

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 ごめんなさい。

 

参考にならない、と怒られそうなので高校の時のデッサンを載せておきますね。

頑張って描いたやつですが、見る人が見たら目が当てられませんね。

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 ごめんなさいね。

紀行文 旅 巡らす思い

紀行文を書きました。

 

どこに向かうにも移動の時間があって、巡らす思いがあります。

少しだけ旅に出たくなることを願ってます。

 

 

巡らす思い

 

茶色い髪の女性が隣に腰を下ろした。自分より少し年上に見える彼女は、慣れた手付きで鞄を前の座席の下に押し込む。ポケットから取り出したイヤホンをすっと解くと、配られていたブランケットを膝に掛ける。濃いめに書かれた眉毛と大粒のラメのアイシャドウが印象的だ。

 

気を取られていると、髪を綺麗に留め、そろいのジャケットを着た背の高い女性が三人現れた。前方から頭上の棚を閉めて回る。タイミングを同じくして、アナウンスが入る。意識を向けているのに、何を言っているのかほとんど理解することが出来ない。シートベルトを見えるように締め、携帯だけを握りしめた。

 

窓に映る自分。中学の修学旅行が鮮明に思い出された。沖縄に向かう途中、窓から見えた景色に、懸命にインスタントカメラを向けた。カメラについての知識のかけらもなかった私は、どこでもフラッシュを光らせた。反射した光は、中と外の世界を遮断された。現像され帰ってきた写真には、窓に写った頭の悪そうな、尚且つとても楽しそうな自分の顔が写っていた。今でも少し、浮き足立つ自分がいる。

 

 

轟音と共に内臓が浮いてから、まだ映画を一本も見終わらない時間に食事が運ばれてきた。腕時計は一時半を指している。窓の外は真っ暗で、星のひとつも見つからない。これから食べるものがどの食事に属するのか分からないが、胃袋は微塵も気にしていなかった。懸命に聞き取った選択肢からビーフと答え、急いでテーブルを出す。本当はコーラを飲みたかったのに、頭に浮かんだコークとコーラ、どちらを言うべきか分からず言う。オレンジジュース。隣の彼女の慣れた振る舞いが、私を慎重に行動させた。

 

以前食べた食事があまりにも不味く、微塵も期待していなかったが、見事に裏切ってくれた。封を開けるとかすかに肉とペッパーの香りがする。ゴルフボールのようなハンバーグが二つ並んでいる。下敷きになった米がジャポニカ米だと気づくと、フォークの包みを開ける手が急いだ。食べ終えるまではほんの一瞬だった。私は、米に目がなく、日本人の米離れなんて都市伝説のような気がしている。

 

メインの他に小さなパンと、バターやジャムを受け取っていた。中に、品名の表示がない包みが一つだけあった。食べ終え、息を吐いた後だったが、細長いそれが気になる。角から二つ目の小さい山に狙いを定め、封を切る。ゆっくりと口元に運び、中からさらりと出る液体を舐める。味がしないので、改めてぐっと吸うが、それが何なのか分かる要素を得られない。謎が解けず、空になっている皿に流し出すと、つやつやとした黄色い液体。ああ、私はオリーブオイルを吸っていた変な奴だ。一瞬にして悟る。平静を装いつつ全神経を注ぎ、周りの視線を確認する。大丈夫、だろう。彼女は枕に頭を預けていた。

 

 

状況と気持ちをリセットすべく、絡まったイヤホンを伸ばし、途中で止めていた映画の続きを見ることにした。見始めが物語の終盤も終盤で、劇世界に戻る暇なくエンドロールが流れてしまった。少し腕を伸ばして画面に触れ、次に見る映画を探すが、気になるものも見つからない。仕方なく、話題になっていたディズニーの映画を選択する。吹き替えも字幕も、日本語がないじゃないか。子供も見るようなアニメーションだからきっと難しい英語ではないだろうと予想する。リスニングよりリーディングが得意だった私は、英語の字幕を選び、右向きの三角を押した。難しい言い回しはないのに、次々にセリフが逃げていく。色鮮やかな景色に意識を向けられない。集中は、物語の「起」は越したが、「承」まで持たなかった。綺麗な丸に収まった、三角屋根の家を押す。画面の明るさが増し、映画、音楽、という項目とともに地図が表示されている。日本が右端にある見慣れない地図だ。円グラフになった到着地までの時間は、1ピースだけ食べられたピザに似ている。

 

もう少しだ。到着に備え少し寝よう、と思うが、目が冴えている。膝にかかっていたブランケットを肩までぐっと上げ、座席と壁の隙間に落ちていた枕を、首元に持って行き微調整をする。しばらく、適当な音楽を聴いていたが手持ち無沙汰になる。インターネットの使えない環境にいることは、かなり久しぶりだった。自分の携帯を手にいれる前、私は何に時間を使っていたんだろうか、と考えてみたりする。ふと、思い出し、乱雑に詰め込まれた鞄を引っ張り出す。最寄駅の本屋で手に入れたガイドブックが入っている。すでに目を通していたが、一ページ目から開いてみた。これから向かう場所へ、想いを馳せる時間が、意図せず設けられた。

 

 

気がつけば、窓の外が白かった。首を回しながら、足下に落ちていた本を拾う。カラフルな見栄えの表紙がグシャっとしていた。見慣れない街並みが雲の隙間から顔をし、お出迎えをしてくれている。朝ご飯を食べ損ねたことは、全く気にならない。搭乗前に買っていたミネラルウォーターを、ほんの少し口に含み、喉に流す。目が覚めてしばらく経っても、コンタクトがごろついている。ポーチから小さな丸い鏡を出し、確認する。すっかり落ちた口紅をさしなおす。いつ見ても乱れていない彼女に、思わず尊敬の念を抱いた。

 

シートベルトのランプが点きしばらく、再び轟音がなる。荷物を取る混雑が終わるのを、座って待つ。半日ぶりに席を立つと、意外と疲れているのを感じた。のろのろと進む列に続く。スコティッシュのくぐもった英語のアナウンスに導かれ、コンベアーから荷物を受け取る。外に出ると、やけに冷たい風が、疲れを連れて行った。

馳せた思いを雲の上に浮かせたまま、私は目的地に着いた。

 

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お読みいただきありがとうございました。

今後も応援お願いいたします。

 

東京藝術大学 卒業・修了制作展 藝大だから

私の在籍する

東京藝術大学卒業・修了制作展が開催中です。

 

1月31日まで、東京芸術大学の敷地内、大学美術館、

東京都美術館で行われています。

 

まだ全部を見に行けてないので、また改めて感想等を載せたいと思います。

 

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昨年、今年は、藝大のメディア露出も多く、本も話題となりました。

上野キャンパスの門の前で、取材を行う人も多く見ました。

 

きっと例年より多くの人に足を運んでもらえるでしょう。

ありがとうございます。

 

注目してもらえることは、大変ありがたいことで、

アーティスト志望の学生にとっては名前を売る好機でもあります。

 

ただ、大学が有名になればなるほど、

「藝大だから」

という見方や考え方が広まることを、私は危惧しています。

 

「藝大だから」は良くも悪くも力を持っています。

女だから、男だから、に似ていて危険だと思うのです。

 

藝大だから変わってる、藝大だからすごい、藝大だから仕方ない、藝大だから許される

 

藝大だからに許され、甘んじてきた経験もありますし、

大学のブランドを利用してきたこともあります。

 

しかし、藝大だからに苦しむこともあります。

 

「藝大だから絵がうまいでしょう?」

私は、いいえです。絵は全く書けません。

全くと言っても目と鼻と口はかけますが、全く似せられないし骨格なんて好き放題に歪めてしまいます。

 

私は映像などメディア系がメインなので、

「似顔絵を描いて」には何度も苦しめられました。

 

「藝大だから卒業後はアーティストかな!」

なれたらいいですね、なりたいとも思います。

じゃあ美術館に足繁く通って下さい。あと、日常的にアート作品をたくさん買って下さい。と思ってしまうのです。

 

きっと、東大だから、電通だから、公務員だから、

なんて言葉が同じようにあるんだろうなと思うと

少しやるせない気持ちになります。

 

だから、はいかにもそれが正解で、すべてであるような文を作ります。

だから、という一言で、全てをまとめてしまうのは勿体無いと思います。

 

少し話が膨らみましたが、言いたいことは

 

もし卒業・修了制作展に来てくださる方は

「藝大だから」から少し離れて、作品を見て欲しいということです。

 

すごくて当然ではありません、数多くの失敗や苦悩があって作品があります。

 

一人一人の持つ創造性の豊かさや、込められたメッセージと向き合ってみてください。

 

結果的に、感想が「すごい」になるとしても、

少し見方を変えるだけでより楽しんでいただけるのではないかと思います。

 

 

私の個人的な思いと見解ですが、頭の片隅にでも置いていただけると幸いです。

 

エッセイ 古書に思う

以前書いたエッセイを掲載します

私たちは数多くの出会いをします。

人だけでなく数多くの物とも出会い、中には意味もないものや未知の物との出会いもあります。

 

今回は古びた本との出会いです。

古書に思う

 6月末、日差しもきつくなってきて、汗で体がべたつく。エアコンの効いたお店に入ろうと思っていたが、じめっとした古本屋に惹かれ、立ち寄った。少し栄えた商店街の並びにある古本屋。店先には値段が下げられた本が出され、色あせた洋書が目に付いた。厚みのある本で、ずっしりとした重みがある。深い緑色の表紙にインクは使われてなく、エンボスでタイトルが示されている。

「CLASSIC MYTHS IN ENGLISH LITERATURE AND IN ART 」

 思わず立ち読みする。開いてみると古臭い匂いがした。記憶の奥にあった、祖母の着物のタンスのようなにおいだ。タンスは畳敷きの広い部屋の片隅にあって、子供心に触れてはいけないもののような気がしていたが、ある日、少しだけと、取っ手を引いてみた。ギシギシと音がなり少しだけ開き、中から深い紺色の縮緬のような布が少しだけ顔を出す。と思ったらこれまで嗅いだことのないような匂いが鼻につく。匂いにより、改めてタンスに触ることへの罪悪感を持った。今思えば毎年3月、雛人形を出した時も同じようなにおいがした。 

 匂いに気を取られていたが、よく見ると本にはかなり多くの書き込みがされていた。筆記体で書かれていてうまく読み解くことができない。何について書かれた本であるかも分からないまま、気がつけば、レシートとお釣りを受け取っていた。

 ソファーに座り改めて本を開く。石膏像のようなものが書かれた挿絵や紀元前5年のアメリカの地図が目を引く。見出しが気になったページだけ、単語を調べながらなんとなく読み解いていった。さらにページをめくると、一枚のハガキに出会う。洋書の中で突然出会った日本語に少し驚くが、言葉遣いが見慣れないことに、すぐに気がついた。「號より採用す、至急送附あれ。」宛名は英語通信社で、“郵便はがき”の文字は右から読む。おそらく活版での印刷になっている。ハガキの、本の歴史を感じ、以前の持ち主について想像も膨らむ。ハガキの宛名に連絡をしてみようかとも思ったが、よく分からない、という情緒を壊すべきではないと感じた。

 以前も似たようなことがあった。何の本だったかは覚えていないが、神奈川県内のスーパーのレシートが挟まっていた。私が本を手にする15年ほど前の日付で、夜の8時頃にみたらし団子とビール、チョコレートを買っていた。元の持ち主は仕事終わりに、自分へのご褒美を買ったのだろう。そう私は決めつけた。誰かが本にレシートを挟んだ当時、私はまだ小学生にもなっていなかったが、今、私はその本を手に取り、彼か彼女かも分からない甘党の誰かへ親近感を抱くことになった。

 古びた洋書は高学歴のホームレスのようで、見かけに反して中はやたらと難しい。私は、多分この本を読み終えない。ただ、開くたびに少しだけわかる単語と挿絵を元に、自由に読むことができる。かつてプライドが高かったであろう本は、心外かもしれない。窓を閉め切った私の部屋の空気は淀んでいるが、薄汚れた洋書にはお似合いでもある。本を開くとテレビの音はたちまち邪魔者になり、時間の流れが遅くなる。この本が過去の時間を連れてきたようだ。テレビを消した室内には時計の針の音がして、たまにはこういう時間も悪くない。目の粗い表紙は独特で、持った途端に私を世界に引き込むが、たまに出喰わす凹んだ傷によって私は現実に戻る。本に振り回される日が来るとは思ってもみなかった。

私は再び古本屋に行き、適当な本を端から読み漁り、後から挟まれた何かを探したが、しおりの一つとも出会えなかった。

 

お読みいただきありがとうございました。

あれから半年以上経ちましたが、なかなか意図しない出会いは訪れません。

みなさんが、何か素敵なもの、人と出会えることを願っています。

書評 クズの本懐 

 

 

今回は以前書いた、スクエアエニックス出版の漫画

クズの本懐」についての書評を掲載します

 

とても面白い本なので、ぜひ合わせてお読みください。

 

 

 

「温度よ、想いよ。」

 

品行方正な美男美女のカップルとして、周囲から羨望の眼差しを浴びている二人。主人公である安良岡花火と粟谷麦、17歳。「理想」のカップルである二人はある秘密を共有していた。

「私たちは付き合っている でも好きな人がいる お互いがお互いの かけがえのある恋人」

物語の冒頭25ページにも満たない場面、花火の言葉として描かれた。お互い別に好きな人がいる。花火は幼なじみであった国語の教師に、麦は以前家庭教師の先生だった音楽の教師に思いを抱いている。叶わない思いを持ちながら二人は付き合い、花火と麦は互いの好きな人を互いに投影させることで想う相手に触れることを可能にした。

 横槍メンゴのコミック「クズの本懐」(スクウェア・エニックス出版)では、人間の生々しい感情が繊細な絵と綺麗な言葉で描写されている。物語が進むに連れ、二人を取り囲む人間関係はより複雑に絡まり合う。花火が思いを寄せる先生は、麦が思いを寄せる先生のことを好きになり、麦を自分の王子様だと言い張る鴎端モカ(本名:鴎端のり子)も登場する。さらに花火の親友のえっちゃんは花火をずっと好きだったと告白し、花火はその触れられた熱にまんまと満たされてしまうことになる。

 ある朝、空がとても青いのに反して、花火は少しの頭痛と憂鬱な気持ちを持ちながら学校へ重い足を進める。後ろから声をかけられ振り返ると見覚えのない顔がある。以前告白されて答えを渡していなかった人だとゆっくり思い出す。その時すぐに返事をしなかった自分を、若干恨みながら、面倒くさそうに口を動かす。花火の「ごめんなさい」の言葉に相手は泣きそうな表情に変わる。泣きそうなくらい私のこと好きなのか、と感じながら更に言葉を放つ。

「興味のない人から向けられる好意ほど気持ちの悪いものってないでしょう?」

あまりにも残酷な言葉を突きつけられた相手はその後、顔の描写がされていない。また、その状況を見ていた花火に対して好意を寄せる別の男性が「心優しいなぁ…未練の残らないようあえてはっきりと…」とつぶやいてしまうところからもこの物語の狂気的な一面が垣間見える。

 登場人物たちの、得られない相手に向けた愛欲がこの物語を動かしている。ここで見られる愛はアガペーではなく限りなくエロスに近い。彼女たちは見返りを求めている、愛する相手から与えられる愛を、快楽を求めている。「報われない恋 切ない恋 片想い それってそんなに美しいものですか」花火はそう問いかける。読者はNOという答えしか求められていない。ただ好きなのだ、それが彼女たちを狂わせるようになってしまっただけで。大切に大切に握りしめ、貴重な氷を溶かしてしまった昔の誰かの話みたいだ。掴みきれないものを掴もうと力を込めるが故に、余計に速度を増し、水になってしまった氷のように愛情はこぼれてゆく。

 好きな相手を投影させ、別の誰かの体温に身を委ねる。触れられて初めて自分の形がわかると花火は言う。温度は安心を与え、この世界で自分が一人きりではないと否応なく実感させる。好きな人に見立てた麦に抱かれた花火は、母親に抱き上げられた赤ん坊のようだ。人の熱に甘んじ、ふと下されると温度を失い、何がそんなに嫌なのか分からないほど泣きわめく子供の姿に変わる。誰かに触れられないと彼女の存在は無になるのだろう。しかし、また抱きあげられることで、落ち着きを取り戻すが、根底は動かない。彼女の恋は報われず、花火の周りには感情はなく、ただ温度がある。

 人間は「不完全で欠落のある男性・女性」であり「失われた半身」としての異性を地上界で探し、性的な結合を以って、イデア界に存在する完全なる「自己のイデア」に近づくことが出来る、とプラトンは唱えた(イデア界の人間は4本の手、4本の足、4つの目、2つの口…を持っていたらしい、それが完全なる人間であるという説だ)。もし「完全なるイデア界、完全なる自己」の理想が今、現世に存在していなくとも、私たちは愛を、結合を求めるのだろう。そして欲求は永遠の悩みとなるだろう。

親から与えられていたような無償の愛を私たちもまた誰かに与える日が来て、それまではただ情慾の衝動と付き合うことになる。物語はまだ続いており、誰かが結ばれれば誰かは1本の糸に終わる。すべてが満たされることはない。すべてが満たされると思っている人も、もしかしたらいないのかもしれない。叶えられないから追うのだろうか、いや、ただ追いかけることはそんなに美しくない。美しく語ってはいけないのだろう。

 

 

 

 

クズの本懐(1) (ビッグガンガンコミックス)

クズの本懐(1) (ビッグガンガンコミックス)

 

 

お読みいただきありがとうございました

今現在は、新刊も出ており内容もずいぶんと進んでおります。

 

物語が完結したら、また書かせていただきたいと思います。

少しでも面白いと感じたり、興味を持っていただけましたら、を押して応援お願いいたします。

 

今後もよろしくおねがいします⭐︎

 

 

ピコ太郎と人魚

 

ピコ太郎人魚

最近急激にブームとなったピコ太郎、そこに何か既視感のようなものを感じました。

よくよく考えてみると…既視感の元は人魚でした。

ピコ太郎と人魚、近しい点はなにもなく、ほとんど別のものとして、それぞれに魅力があります。

 

私が既視感を感じた理由、

両者にはある共通点があります。

 

それは、デペイズマンであるということです。

 

デペイズマンって誰だろう…。

 

「デペイズマン」はフランス語で、dé(分離)」+pays(国、故郷)+ment(名詞の語尾)と書き、「異郷の地に送ること」という意味を持ちます。

 

異郷の地に送る?

よく分からないですよね、私もわかりません。

 

美術用語としては、

あるものを本来ある文脈から別の場所へ移し、異和を生じさせるシュルレアリスムの方法概念”です。

 

もっと分かりやすく言うと、

どうしてこれとこれが!?ということです。

 

私が既視感を感じた人魚は“フロリダの人魚”と呼ばれるものです。

正式には、ベルギーのシュールレアリスムの画家、ルネ・マグリットが1934年に発表した油彩作品「共同発明」です。

 

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文学のデペイズマン

 

「解剖台の上でのミシンとこうもりがさの不意の出会いのように美しい。」

 

19世紀の詩人、ロートレアモンの詩です。(日本語訳)

このように、文学にもデペイズマンが用いられます。

 

解剖台とミシンとコウモリ傘、これは容易に出会うモノ達ではないですよね。

でもなんとなく美しいと感じます。

 

よく分からないけど、なんだか綺麗、なんだか面白い、不思議で気になる

それがデペイズマンのもたらす効果です。

 

色々なデペイズマン

 

デペイズマンには様々な種類があります。

種類と概要、有名な例をご紹介します。

 

⚫︎人体のデペイズマン

上記で説明したフロリダの人魚はここに属します。

「陵辱」ルネ・マグリッド

 

⚫︎場所のデペイズマン

本来の言語的意味です。ものをあるはずのない場所に置くこと。

「L.H.O.O.Q」マン・レイ

「谷間の家具」ジョルジョ・デ・キリコ

 

⚫︎時間のデペイズマン

絵の全体が夜なのに、他の一部が昼であったりする。

「光の帝国」ルネ・マグリット

 

⚫︎大きさのデペイズマン

実際よりのはるかに大きく、小さく表すこと。

「盗聴の部屋I」ルネ・マグリット

 

⚫︎材質のデペイズマン

形はそのままで材質が異質なものに置き換えられている。

「毛皮の朝食」メレット・オッペンハイム

 

まとめ

デペイズマンは元々、シュールレアリスムの手法の一つです。

芸術は難しいものと思われがちですが、ペンとパイナップルとアッポーペン、とそう遠くはないのです。

 

異質な組み合わせは、発明を行うことなく新しいものを生み出します。

日常のプレゼントやイベント、小学校のポスターの課題から広告までにも生かせる考え方です。

もし何かを生み出すときに発想のヒントとして「デペイズマン」という用語を思い出していただければ幸いです。

 

新しいもの、面白いものの種は身近にたくさん蒔かれていると思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

紀行文 京都 伏見稲荷

こんにちは、川田いくりです。

 

寒い日が続き、雪マークはもう見たくない思いです。昨年の夏、京都 

伏見稲荷に行った際に書いた、紀行文を掲載します

ぜひ、ご一読ください!

 

 

心地よい冷たさと朱色

肌寒い日が多くなってきた。暑い季節が恋しい。

私は汗の目立ちにくい紺色のワンピースとつばの広い帽子を選んだ。6月末、夏の始まり。大学の研修旅行で京都を訪れていた。二週間の日程の中で、大抵の名所はすでに回っており、最終日の自由行動で行く場所を、私は前日まで決めかねていた。周りの友人たちは大阪に行くと意気込んでいたが、無計画な私は、帰りのバスを京都発で取っていた。

 

朝、思い立って京阪本線に乗り込み、東福寺で乗り換えて一駅、稲荷駅で降りた。駅名を聞けばわかる人も多いだろう。千本鳥居で有名な伏見稲荷大社を訪れた。改札を出るとすぐに大きな鳥居が立ち現れる。ちょうど昼頃に行ったため、多くの観光客で賑わっていた。日が照りつけとにかく暑く、日陰を求め、足早に正面の鳥居をくぐる。本殿前、階段の両脇に狐の像を見つけ、期待が膨らむ。真っ赤な門を背景に、青味がかった白虎が映える。背筋がすっと伸びていて、想像していたよりも、ずっと凛々しい表情をしている。私は向かって左側の白虎さんの方が好みだ。本殿に向かい、お参りの方法はこれであっていたよな、と思いながら二礼二拍手一礼をする。目を閉じると急に蝉の音が大きく聞こえる。目を開けたことで暑さを思い出す。心が清まった気がする、なんて思いながら、矢印に向かって歩き出す。

 

前触れなく、一つ目の鳥居が目の前に現れ、写真を撮る人で溢れかえっていた。私もとりあえず撮り、連なる鳥居の間を抜けていった。私があと10歳若かったら、千本あるか数えていたと思う。二十歳になっても一瞬数えようと思ったほどだから。ふと、太陽が遮られ、涼しかった。

 

奥社奉拝所に着くと辺りは開けて、のびのびとする。売店に冷やし飴の文字を見つけるが、手書きの看板には年季が入っていて、案の定見当たらない。日陰で涼しいとはいえ、やはり冷たいものが欲しくなった私は、ラムネを買った。仕方なくと思いつつも、何年かぶりに手を取ったラムネに少しワクワクした。子供の頃はふたを開けるのが苦手だったが、今回はかなりスムーズに開けられた。キンキンに冷やされていて、喉を流れる感覚が気持ちいい。甘さが嬉しくて一気に流し込みすぎた。炭酸の刺激が額にシワを作った。昔、ビー玉が取り出せなくて、もどかしい思いをしていたが、口の部分を回すだけで、簡単にときめきを取り出すことが出来た。瓶だけを捨て、ビー玉をポケットに入れた。多くの人が折り返す奥社奉拝所を出て、一つ先の能鷹社まで行くことにした。

 

急に人が減り、艶のなくなった鳥居も目立つ。最後の階段を上りきった所で、息を飲む。池の存在を地図上で見ていなかった私はしばらくの間、圧倒され目を離せなかった。ふうと息を吐く。小さな石の鳥居が並び、線香のような匂いが立ち込めた細い道に入った。祀られた何かは、稲荷大社大神様に別名をつけ奉納された「お塚」と呼ばれるものらしい。狭い道の両脇には苔むしたお塚、隣には静まり返った池。奥に進むにつれて濃くなる線香の匂いは嫌ではない。嫌ではないが、さすがに夜には来れないと思った。

 

池を向いて大きく深呼吸をして、道を戻った。最後の鳥居を抜けると達成感があった。少し空が染まり始めていた。参道にはシャッターの音をさせ始める店もあった。明日には東京に戻っているのかと考え、急に寂しくなる。ふと近くにあったおみやげ屋さんに入った。休憩スペースもあって、甘味のメニューが置いてある。せっかくだからと、かき氷を注文。20代くらいの店員さんが、ガラスの器に乗った小さな緑の山を運んでくるのが見え、目が釘付けになった。氷とあんこに埋もれかけた白玉がつやつやと光っている。一口食べると、濃い抹茶の香りが鼻を通る。美味しい、と頷きながら次々と口に運ぶ。食べ終わってしばらく、帰路につく観光客の流れを見ていた。

「すみません、もう閉店なので…」という店員の言葉に、自分の左手首に目を向ける。

「ああ、はい。ごちそうさまでした」と少し笑顔を作り、レジに向かう。綺麗に並んだおみやげの誘惑に勝てず、まとめてお会計を済ませた。

 

増えた荷物と共に電車に乗って十条で降りる。バスターミナルまで、疲れが出てきた足を少しずつ動かす。夜行バスで7時間ほどの道のり。日付をまたいでも寝付けず、さっきまでの心地よい気分を脳内で反芻する。

私は夏を、旅先においてきてしまった。

 

 

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お読みいただき、ありがとうございました。

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今後も定期的に更新します!

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